将来的にはリビングコストゼロの生活を!小さな家づくりから、豊かな暮らしを世の中に問いかける YADOKARI株式会社 さわだいっせいさん・ウエスギセイタさん
ウエスギセイタさん(左)、さわだいっせいさん(右)

「物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを大切にしたい」
そんな思いから、移動式のトレーラーハウスなど、小さな家=タイニーハウスへの住み替えを考える人が増えている。そのムーブメントを横浜から先導しているのが、さわだいっせいさんとウエスギセイタさんだ。Webデザイナーと営業兼プランナーだった2人が、畑違いの住宅市場に参入したのはなぜだったのか?まるで部活動の延長のように活動を続ける若き共同経営者たちに話を聞いた。

始まりは好きなことを発信し続けたFacebook

将来的にはリビングコストゼロの生活を!小さな家づくりから、豊かな暮らしを世の中に問いかける YADOKARI株式会社 さわだいっせいさん・ウエスギセイタさん
タイニーハウスを利用した日本初の複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho」

2人が出会ったのは2007年のこと。Webデザインやコンサルティングを行う会社の先輩・後輩だった。さわださんがWebデザイナーとして働いていたところに、営業兼プランナーとしてウエスギさんが入社。さわださんが退職してフリーになった後も付き合いは続いた。小さな家に先に関心を抱いたのはさわださんだった。

さわだ「2011年3月11日の東日本大震災で家が流されていく映像を見て、こんなふうに一瞬でなくなってしまうかもしれないものに、多くの人が寸暇を惜しんで働くことに疑問を感じました。日本には長期ローンで家を買うか、高い家賃を払い続けるかの二つしか選択肢がない。でも女川町のコンテナで作った仮設住宅を見たとき、『これなら小さいけど安価で家ができるのでは』と。広い家じゃなくても豊かな暮らしができる、移動する家の楽しそうなイメージが浮かんできて、スモールハウスやタイニーハウスについて調べ始めました」

ウエスギさんは会社での仕事に満足できず、さわださんと会っては将来の相談をしていた。話しているうちにお互いに「暮らし」を大切にする共通点があるとわかり、ファミレスで5~6時間も話し込む日々が続いた。Webの仕事をしていても誰かを幸せにしている実感がなく、もっと具体的に「暮らし」に関わる仕事がしたいというのが共通の思いだった。

ウエスギ「まずは調べたことをネットで紹介することから始めました。海外の実例などを毎日1記事、2年間で800本ほど書き溜めました。お互いに昼間は別の仕事をしていたので、夜中の12時を回ってからが「ヤドカリタイム」。当時はFacebookが流行り始めた頃で、いいねがたくさんつくのがモチベーションになりました」

さわだ「Facebookで発信したら、一つの投稿に数百いいねがつくようになり、全然お金になっていないけど嬉しくて。その頃、日本では70平米以上の新築は減って、ダウンサイジングする方向に進んでいました。その起爆剤になるような企画がほしいとハウスメーカーから言われ、小屋の展示場をサポートしたのが好評で、いろんなデベロッパーから話が来るようになりました。でもあまり起業するという意識はなくて、部活動の延長みたいな感じでしたね。コンテナが移動するイメージ、家を住み替えるイメージから会社名をYADOKARIにしました」

事業の成長に伴い、合同会社から株式会社へ

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2013年11月の開業時、合同会社で2人を共同経営者とする形を取った。

さわだ「NPOを考えていたのですが、なかなか設立手続きが大変だったので、単純に費用が安くて、設立の手間が少ない合同会社にしました。NPOにしたかったのは、紛争で難民になるなど住む場所がない人たちに小さな家を配れたら、と考えていたからです。2015年11月に株式会社に組織変更したのは、大手の不動産会社との仕事で、合同会社より株式会社の方が望ましいという話があったためです」

ウエスギ「日本橋の駐車場に可動式のイベントキッチンスペースを作って街を活性化させる『BETTARA STAND 日本橋』という企画でした。それまでは僕の自宅を事務所にしていたので、初めてリアルな場所を持った仕事でしたね。社員やアルバイトも10名ほど雇って本格的に会社化して、一つスイッチが入ったのがこのときでした。企画は2年限定でしたが、そのときのメンバーは今も子会社で中心的な役割を果たしてくれています」

その間にも、移動式タイニーハウスをメーカーと共同開発して販売、小さな家を体験してもらうイベントを開催したり、自治体やデベロッパーと組んで遊休不動産で街を活性化させたりするなど、「住む」ことをキーワードに様々な事業に取り組み、会社は順調に成長してきた。そして2018年4月からは、京急電鉄とのコラボで日ノ出町駅近くの高架下に、タイニーハウスを利用した宿泊施設やカフェを複合した「Tinys Yokohama Hinodecho」をオープンし、2年後に会社の拠点も横浜に移した。

さわだ「タイニーハウスを普及させるために、まずは1日住む体験をしてもらいたいので、京急電鉄からお話をいただいたときには絶対に宿泊施設をやりたいと希望しました」

ウエスギ「コロナで横浜への移住者もかなり増えていると聞いています。みなとみらいには、企業が次々に本社を構え始めていますし、横浜には新たな仕事が生まれるのではないかという期待感もあります」

営業活動ナシの理由はオウンドメディアの充実

将来的にはリビングコストゼロの生活を!小さな家づくりから、豊かな暮らしを世の中に問いかける YADOKARI株式会社 さわだいっせいさん・ウエスギセイタさん

同社の大きな特徴として、営業活動をほぼしたことがないことが挙げられる。その代わりに大きな役割を果たしているのが、SNSと著書だ。起業と本を書くという行為は意外な組合せの気もするが…。

さわだ「デベロッパーからもFacebookを通じて仕事の依頼や相談が来ていて、それを一つずつ全力で打ち返していくことで十分に仕事は回っています。サイト自体がブランディングと集客装置になっているので、そこに力を入れてきたのは良かったなと。数年前に移動式タイニーハウスを販売したときは、1年間で4~5,000件の問い合わせが来て、それに2人で対応していました。今は企業からの問い合わせだけに絞って、個人の方からの問い合わせは取引先にお願いする体制を整えようとしています」

ウエスギ「自分たちの活動や理念をオウンドメディアで発信すれば必要な人に伝わるし、続けていくことは大事ですね。著書は、株式会社にした2015年以降、出版社からお話をいただいた3冊と、もっと好きなことを自由に書きたいと自費出版した3冊があり、中国や韓国でも翻訳されています。書籍になると取り上げてくれるメディアもたくさんあって、SNSにアクセスする人もまた増えて、知名度が上がっていきました。融資を受けるときも、著書があるとやりたいことが伝わりやすいし、メディアに出ている効果は大きいと感じましたね」

融資について泣きながらけんかをしたことも

将来的にはリビングコストゼロの生活を!小さな家づくりから、豊かな暮らしを世の中に問いかける YADOKARI株式会社 さわだいっせいさん・ウエスギセイタさん

融資に関しては、紆余曲折もあった。普段は仲のいい2人だが、融資については珍しくけんかになったという。

さわだ「ウエスギの家は祖父も父も会社経営者でした。倒産して、両親がずっと借金返済に追われる姿を幼少期から見てきていたんです。だから融資を受ける=悪いこと、という思いが根強くあったようです。最初に日本政策金融公庫から借り入れをするときも、そのことをめぐって銀座の喫茶店で、2人で泣きながら言い合いをしました(笑)」

ウエスギ「お金を借りることなく、自己資金と事業利益だけで会社を着実に経営するのが健全だと思っていました。でも会社経営を行う過程で考え方が少しづつ変化しています。現代はビジネスのスピードがものすごく早いし、時流を掴んだ事業を形にしたり、新しいマーケットを開拓するにはやはり要所でまとまった事業資金が必要。自社の事業利益から新しい事業資金を捻出しようとするとそのタイミングを逃してしまうこともあります。そのくらい目まぐるしい世の中です。また企画から建築・施工、可動産の仕入れ、メディア支援、運営オペレーションまでトータルで提供するサービスなど、電鉄・ディベロッパーなどの上場企業からの大きな仕事が来たときに、回収までの長期間のキャッシュフローも健全になり、資金繰りの心配なく経営側は中長期の計画や仕込みに集中することができます。実体験で学んで、少しずつ実家のトラウマを払拭していった感じです。会社を始めるときにお金の使い方を学べる機会はあまり無かったので、起業を考えている人にはぜひお金のことを嫌がらずに積極的に学んでほしいですね」

さわだ「プログラミングや英語と一緒に学校で教えてもらいたいくらいですね。もっと早く借り入れや資金調達を考えていたら、もう何年か早く社会にインパクトを与えられたかも、という思いがあります」

令和2年度「ヨコハマ起業家伴走支援プログラム」へ参加

「令和2年度スタートアップ企業伴走支援プログラム」採択企業による最終発表会

2020年度には横浜市の「スタートアップ企業伴走支援プログラム」に参加するなど、別の形で幅を広げようとしているようだ。

ウエスギ「メインの伴走者には広告代理店出身の心強い方がついてくださいました。バリバリのキャリアの方なので緊張していましたが、僕らのビジョンに寄り添って考えてくれて、『会社を大きくすることも大事だけど、今の想いを忘れないように』など、温かいアドバイスもたくさんいただけました」

さわだ「父親世代ですけど、僕らの話にすぐに反応してくださるのにびっくりしました。僕らが最終的に目指しているリビングコストゼロの社会についても、『自分が生きているうちに見てみたい』と言ってくださいました」

ウエスギ「投資家と知り合う機会を求めてプログラムに参加しましたけど、父親のような感覚でアドバイスしてもらえて、精神的に得たものが大きかったです。起業を考えている人には参加する価値があると思いますね。プログラムに参加したことがご縁で、今年8月にはベンチャーキャピタルから1億5千万円の増資を受けることにもつながりました」

さわだ「ベンチャーキャピタルの方も多くの経営者を見てこられているので、一目で見抜かれますね。『さわださんはすぐに飽きるから5年後にやめないように』とか(笑)」

ウエスギ「僕は『ちゃんと人に仕事を渡すように』と言われました(笑)。だから投資や調達はお金を借りるだけじゃなくて、僕らのファンとして外側から見てアドバイスしてくれる人が増えることでもあるので、心強いと感じています」

リビングコストゼロの暮らしを目指す

今を「第二創業期」と捉え、さらなる飛躍を遂げようとしているYADOKARI。今後はどこへ向かおうとしているのだろうか。

さわだ「今はメディア作りと、小屋のリース・販売と、まちづくりのマネジメントを事業の三本柱と考えていて、今後は、横浜市内での大型プロジェクトも控えています。そして次はライフスタイル全般に関わるITのプラットホーム作りを考えていて、4年後のIPOを目指しています。最終的に目指しているのは、リビングコストゼロの暮らしです。そう遠くない将来、水道や電気、ガスなどのインフラは自分のスキルと交換したり、スポンサーが提供したりして、限りなくゼロ円に近くなっていくと考えています。まずは民間企業がインフラを無料で供給するきっかけ作りをしたい。そして、テント以上住宅未満の家を作って、1棟売れたら1棟寄付するようなこともしたいと考えています」

実務志向とデザイン思考のベストマッチング

本格的な起業意識もないまま創業して8年、2人を取り巻く環境は大きく変わった。現在感じている、会社経営の面白みややりがいとは?

さわだ「僕はもともと、すぐに人とけんかして会社をくびになっちゃうような人間だったんですよ(笑)。自分の強みも弱みもわかっていて、自分一人で起業してもうまくいかないだろうとも感じていました。ウエスギという万能な人に共同経営者になってもらって良かったと思っています」

ウエスギ「いやいや、そんなことはないんですけど(笑)。逆にさわだのようなデザイン思考の人間が経営者で良かったと僕は思います。海外で成功しているFacebookやApple、Dropbox、Twitterなどもデザイン思考の人間が一人、経営陣に入っています。世の中にまだ無い価値、本質的な課題解決やイノベーションに目を向けるプロダクトやサービスを考え挑戦することは、会社にとって欠かせないことだと思います。事業成長やお金を稼ぐこと以前にパーパス(存在意義)を大事にしない会社はこれから淘汰されていくと思っています。そして実務の部分を推進する僕とのペアはうまくいっているなと自分でも思っています」

さわだ「僕みたいに会社からドロップアウトしちゃうような人間でも、社会にモノ申したいときに、会社経営というのはものすごくいいツールだと思います。いくつになってもできるし、今ではYouTubeを見れば会社の作り方も載っているし、起業という選択肢がもっとライトになればいいですね」

ウエスギ「僕らは建築を専門にしてきたわけではなかったけれど、自分が普段の生活の中で課題に思っていることが、仕事になるんだと実体験できました。それはすごく豊かな時間になるので、同じように課題を感じている人はぜひ挑戦してほしい。それとベンチャーキャピタルの人と話してみてわかったのは、このコロナ禍の中でも、日本には投資マネーがまだまだあり、投資したいのに投資先がない人たちがたくさんいるということです」

さわだ「そう。今や中学生や高校生でも資金が調達できる時代ですから、やりたいことがある人は、ぜひ一歩踏み出して、実行に移してほしいです」

【プロフィール】
さわだいっせい氏
YADOKARI株式会社代表取締役 CEO

1981年生まれ、兵庫県姫路市出身。18歳でミュージシャンを志して上京。Webデザイナーとして会社勤務、フリーランスを経て、2013年にYADOKARIを創業。

ウエスギセイタ氏
YADOKARI株式会社代表取締役 COO

1984年生まれ、長野県小諸市出身。法政大学卒業。Webコンサルティング会社にて営業兼プランナーから取締役歴任、7年間会社勤務後、2013年にYADOKARIを創業。

【取材】
2021年8月 インタビュアー/古沢保