もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん

JR関内駅から徒歩5分にある静かな工房。2013年秋、ここ横浜の地で「旅するコンフィチュール」は誕生した。ブランド名には、「コンフィチュールが人と人の手を通して旅をして、届いた先で笑顔を生み出せるように」との想いが込められている。

コンフィチュールとは、フランス語でジャムのこと。果物をシロップや香辛料などと一緒に煮詰めて作る食べ物で、違さんの作るコンフィチュールは実に色鮮やか。丁寧に作られたその小瓶たちは、目を喜ばし、そして口に入れた瞬間、人は新しい驚きに包まれる。

女手一つで子供を育て、コンフィチュールの販売開始から、わずか半年でオリジナルブランドとして工房をスタートさせた違克美さん。そんな彼女の起業の道のりについて、小さな瓶で鮮やかに彩られた宝箱のような新店舗で話を伺った。

マルシェ出店から始まった独立への第一歩

もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん

違さんがコンフィチュールと出会ったのは子供の頃。とにかく甘いものが大好きで、図書館で料理の本を借りては、まだ食べたことのない海外のお菓子や料理、見たことのない食材に思いを馳せていた。

「私が子供の頃、ケーキ屋さんは子供が買うには敷居が高い存在。そこで、図書館でお菓子の本を見てはメモをして、見よう見まねで作っていました。特にジャムはガスと鍋があれば作れます。結婚後、アメリカで6年過ごして帰国したら、日本でもパティスリーが増え、スウィーツの世界が華やかになっていました。そこで改めてジャム作りに没頭し、趣味が高じて、『食べたい!』から『作りたい!』になってしまって。大量に作り、食べきれないので娘の幼稚園の皆さんに差し上げていました」

違さんが小さな子供を抱えながら再就職に向けての講座を受講し始めたのもこの頃。結婚後すぐに渡米し、専業主婦として長く過ごしてきたことに焦りを感じていたという。

「いつか経済的に独立したいという気持ちがあって、講座に参加していました。子供が小さいうちは無理だと思っていたのですが、急遽、離婚が決まったのでリフォーム会社で事務のバイトとして働き始めました。さらにもう一つ仕事を探していたときに就労支援カフェのスタッフ募集が目に留まり、応募しました。カフェスタッフとして応募したのですが、店舗の立ち上げから一人で行うことになり、お皿一枚を選ぶところから、メニューの考案、スタッフの教育まで、まったくの未経験でしたが必死でカフェを作り上げていきました。実は、横浜の野菜の仕入先として紹介していただいた方とそのときに出会わなければ、『旅するコンフィチュール』は立ち上がっていません」

カフェが軌道に乗り、リフォーム会社とのダブルワークを続けて2年半ほど経った頃、違さんの気持ちに変化が起こり始める。

「週3日リフォーム会社で働いて、週3日カフェで働いて、残りの1日をスタッフ教育の勉強に充てていたら、まったく身動きが取れなくなってしまいました。時給換算で働いていたので、収入も増えないまま週7日間埋まってしまったことに限界を感じ、リフォーム会社を辞めて食の道を選びました。会う人会う人に『何かお仕事ないですか?』とお話ししていたところ、カフェで働いていた際に野菜の仕入れ先としてお世話になっていた方からイベント出店に誘っていただきました。2013年3月、生まれて初めて参加したイベントでコンフィチュールを作ったことが『旅するコンフィチュール』のスタートとなりました」

初めてのイベント出店で用意した100個のコンフィチュールは完売。横浜でマルシェが積極的に行われ始めた時期とも重なり、「濱の料理人」という食の団体の一員としてマルシェに出店し、着実に販売実績を積んでいった。

「キッチンは知り合いのお店の定休日にお借りして、週3日カフェで働き、定休日にコンフィチュールを作り、週末マルシェに出店していました。農家さんとやり取りして、コンフィチュールを作ると農家さんも喜んでくれる、そして、目の前でお客様においしいと言ってもらえるのがとても嬉しかったです」

出店からわずか半年で自身の工房をオープン

もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん

初出店からわずか半年後の2013年10月に違さんの工房はオープンした。当時の様子を違さんはこう語る。

「徐々に認知も広がって製造する個数が増え、夏場での商品管理に限界も感じたので、自分の工房を作ろうと動き出しました。カフェを9月末までお勤めして10月3日にオープンしたので、今となっては、なんでもう少し間を空けなかったのだろう?と思いますが、当時はとにかくオープンまでこぎつけようと必死でした。勢い、タイミング、ご縁に乗っていくことは大事だと感じています。あのときやらなかったら、起業していなかったかもしれません」

「工房が完成したら、お世話になった方を一番最初に招待したいと話していたら、それならオープニングパーティーしたら?とアドバイスをいただいてイベントを開催しました。農家さんからお祝いに野菜をいただいて、3人のシェフが料理をお祝い代わりに作ってくださいました。参加者にはお料理を食べて、お土産にコンフィチュールを持って帰ってもらいました」

今や多数のメディアに掲載され、「行ってみたいお店」に各所で挙げられている「旅するコンフィチュール」。しかし、違さんは広告を出したことは一切ないそうだ。では、どのようにして「旅するコンフィチュール」は広く認知されるようになったのだろうか。

「工房オープンに間に合うように急遽ECサイトを作ったのですが、サイトを作ったからといって、いきなりたくさんの人が買いには来ないことに後から気がつきました。せめて活動していることを伝えられるように、イベントにたくさん出店して、出店情報をSNSで発信していました。当時はFacebook、今はTwitterをメインに更新しています。SNSの発信を見てメディアから取材のお話をいただくようになりました。取材がくると、ECサイトで注文が増える。その繰り返しで、少しずつ認知が広がっていきました」

「2年目くらいに工房での販売を開始したのですが、製造から販売まで一人で行っていたので、お店として開けているときは製造が止まってしまいます。そこで、最初は月1回だけ、次に週に1回、2回・・・と徐々に販売日を増やしていきました。ちょうどその頃から手伝ってくれる人を探し始めましたが、今考えるとそこはもっと計画的に進めれば良かったと思います。当時は人を増やしたらそれだけ規模も大きくなるとは考えられなくて。『全部自分でやらなくちゃ!』と考えていましたね」

手探りでの製造から経営まで独力で進めてきた違さんが行き詰まりを感じていたこの頃、人づてに経営のサポーターが現れる。

「知り合いから、無料で経営相談ができるから行った方がいいと言われて、IDEC横浜に相談に行きました。目の前にあることをこなす毎日でしたが、月商はこれくらいで・・・と、事業計画を立てることを教えていただいて。それから危機感を覚えて、経営についても色々勉強しました。改めて講座を受講して、ビジネス書もたくさん読んで、そこで意識が変わりました。色々な講座で事業計画を作ったのですが、数字に慣れておくことが大切ですね。計画を進めるために原価率や人件費を考えるようになり、経営の目標ができました」

B to B?B to C?製造小売業ならではの悩み

もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん

横浜だけではなく、都内の百貨店や有名ホテルでも見かける「旅するコンフィチュール」。しかし、今は意識してB to Cに力を入れているという。

「B to Bはよく考えて始めたわけではないんです。なかなか売れなかった時期に、名前を聞いただけで嬉しくなるようなお店のバイヤーさんから、お声をかけていただいて。置いてあるだけでも信用やブランド力に繋がるので、宣伝も兼ねて置いていただいていました。最初はいい流れでしたが、どこも大体2年くらいで売上が下がってしまい、問題が見えてきました。売り場が変わると商品の扱いが変わりますし、見つけてくれたバイヤーさんから他の方に担当が変わってしまうことの影響が何よりも大きかったです。反省点は、まめに足を運ばなかったことですね。自分が売り場のメンテナンスをしたり、企画提案をしたり、もっとできることはあったと思います」

「商業施設に置いてもらえると、従来弱かった夏や休日にも売上が伸びるので多少はキープしつつ、バランスを考えながら今はB to Cにより意識を向けて、ECサイトに力を入れています。現在は月2回、日を決めて新作を販売していますが、オンラインでも店舗と同じタイミングで買えるように、商品のラインナップを店舗と連動させています。そうすると、売上も月に2回波ができ、そこに合わせてシフトの組み方や製造のスケジュールを調整しています」

来ることが楽しみになるような店づくりがしたい

もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん
「ダルメイン世界マーマレードアワード日本大会2019」授賞式

2019年世界的に有名なマーマレードの大会で金賞を受賞。開業して7年目のタイミングで応募したきっかけは何だったのか。また受賞後、何か変化はあったのだろうか。

「応募した理由は、経験が少ない状態で始めたので、プロの方に技術力をジャッジして欲しかったからです。お客様に買っていただいたり、様々なジャンルのプロの方に認めていただいたりしていましたが、自分で作っているものがその世界でどう評価されるか知りたかった。そこで、審査員の名だたるシェフの方々に自分の作ったコンフィチュールを採点してもらう機会として応募しました。

受賞後は、コンフィチュールで世界一を取ったという肩書きが一つできたので、その後に知り合ったシェフたちが一目置いてくれるようになりました。自分の味を評価していただくことで、自分を客観視するいい機会にもなりました。何より自信がついて、やってきたことは間違っていなかった、この道に進んで良かったと思えました」

工房オープンからちょうど8年。今後の展望を聞くと百貨店に並ぶ商品イメージとは少し異なる言葉が返ってきた。

「子育てもひと段落したので、経営者として、もう少ししっかり数字を出していきたい。きちんと事業として成り立たせていきたいと思っています。取引先も大きいところが増えてきたので、個人の趣味の延長で事業をしているような雰囲気は一掃していきたいですね。

同時に、原点に立ち戻って、地元の方が普段のおやつを気軽に買えるようなお店として存在し、ここに来ることが皆さんの楽しみになるような店作りをしたい。それができれば、事業としての基盤もしっかり築けると考えています。人を増やすことで商品点数を増やし、ご近所の人に普段の生活の楽しみとして取り入れていただけたら…など夢は膨らみますが、人を育てるのはとても難しいですよね。商品の味を他の人に任せるのはとんでもなく大変なことですし、覚悟も必要なので。そこにはまだまだ到達できていないのが現状です」

横浜で起業したからわかった、横浜の魅力

もっと身近な“おいしい”幸せを届けたい イベント出店から始まった小さな瓶の物語 旅するコンフィチュール 違(ちがい)克美さん

人から人へ。“横浜”での人の繋がりがそのまま「旅するコンフィチュール」の道のりとなっている。横浜出身ではない違さんだからこそ感じることができた、横浜での起業、そしてその魅力を聞いた。

「いい意味でコンパクトなところですね。私にとっては、それが非常にありがたかった。色々な分野のプロがぎゅっと集まっている、そんな横浜ならではの繋がり方があると体感しています。他ジャンルの方々と深く繋がることができて、助けられることも多かったです。実は、横浜は農業が強いんです。開業当初、農家さんから直接色々なことを教えてもらって、そのおかげで今の私があります。やりたいと思ったとき、すぐに行動できたのは横浜で起業したからです。横浜でなければ、ゼロからスタートしてこんなに早く形にできていないと思います」

最後に、専業主婦から一転して新しい世界を作り上げ、今日も前に進み続ける違さんから、起業を志している人たちに向けて、熱いメッセージを贈ってもらおう。

「やりたい!と思った自分の情熱、勢いに素直に従っていいと思います。私は何も準備なく始めて大変だったので、ある程度は準備も必要とは思いますが…(笑)。やりたい気持ちがあるならとにかく一歩踏み出してみるのが大事。同じところにいると同じものしか見えなくて、そこで何を考えていても、同じ位置でグルグル回っているだけです。でも、一歩踏み出したら180度見える景色が変わります。私自身も、その一歩、一歩を続けていくことを今でも心掛けています」

【プロフィール】
違克美(ちがいかつみ)氏
東京都出身。結婚後、夫の転勤により渡米。帰国後、横浜で暮らし始める。
2003年ル・コルドンブルーにて製菓ディプロム取得。2010年カフェ立ち上げ・運営に関わり、メニュー企画、店舗運営マネジメント、スタッフ育成、現場での調理、接客と店の運営を経験。2013年に開業、「旅するコンフィチュール」をスタート。2013年10月工房をオープン。2020年11月、新店舗を関内にオープン。

【取材】
2021年10月
インタビュアー・執筆/桑原美紀(株式会社ウィルパートナーズ)
編集/馬場郁夫(株式会社ウィルパートナーズ)