「好き」を定量化からAIスタートアップへ 社内ベンチャーがM&Aに至るまでの軌跡 株式会社エフィシエント 脇坂健一郎さん

「効率的」を意味する単語を社名に掲げる株式会社エフィシエント代表取締役社長の脇坂健一郎さん。前職でIoTやAIのサービスを扱っていた際に「世の中のあらゆることを“効率的”にしたい」と考えたことが命名のきっかけ。

横浜で生まれ、大手印刷会社勤務やMBA取得、ベンチャー企業での修行期間を経て起業した脇坂さんは、横浜市のスタートアップ支援プログラムを徹底的に活用、累計5万ダウンロードを達成しているAIアプリなどを開発している。そして創業から約5年で自社の技術と価値を認めてくれた上場企業とのM&Aに成功した。「次の起業も横浜で」と語る脇坂さんの起業ストーリーと、横浜で起業する魅力について伺った。

大学院でMBAを取得、ITベンチャーでの「修行」を経て独立

「好き」を定量化からAIスタートアップへ 社内ベンチャーがM&Aに至るまでの軌跡 株式会社エフィシエント 脇坂健一郎さん

「起業のきっかけになったのは『横浜ビジネスグランプリ2019 THE FINAL』(※1)です。当時は前職のITベンチャーの従業員でした。同僚に未婚のエンジニアが多く、『なぜエンジニアはモテないのか』について真面目に考えてみようということになりました。『相手が自分のことを気にしているとわかれば積極的に行動できる』との結論に至り、データ収集の知見を活かして心拍数で好意を数値化する方法を考えました。同じ頃、SNSで横浜ビジネスグランプリの存在を知り、このアイデアのアプリ化についてプレゼンしたところ、ファイナリストに選ばれました。その結果に仲間5人と『感情の解析は“効率的”だ』と盛り上がり、真剣に事業化を目指しました」

――2018年秋にビジネスグランプリにエントリー、翌年2月にファイナリストとして登壇して、ビジネスプラン「『好きを定量化』出会いのサポートアプリ」を発表、4月に会社の支援も受けながら社内ベンチャーとして株式会社エフィシエントを設立した。だが、すぐに転機が訪れる。

「やがて他の5人は転職し、私は会社に残って上場準備を進めていました。ところが、上場に向けた監査の際に、IT企業の中にIT企業があるのは問題があると指摘され、エフィシエントを続けるか否か決めなければならなくなりました。それなら新しい可能性に賭けようと2020年2月末で退職し、3月に独立しました。設立を支援してくれた当時の社長や上司とは今でも会食する仲です」

――そもそも脇坂さんは独立志向が強く、かつて勤めていた大手印刷会社時代には「会社の看板に頼らず実力で稼げるようになりたい」と大学院でMBAを取得した。勉強を重ねるほどに起業の難しさを知ったからこそ、すぐに起業せずにベンチャーで経験を積んだという。

「ゼミの先生が中小企業庁の長官をされていた方だったのですが、その方から成功した経営者は必ず『修業』の道を選んでいると言われ、私もITベンチャーの門を叩きました。大学院を卒業すれば会社を興せると思っていましたが甘かったです。でも、おかげで仲間と出会い、感情の解析というテーマを見つけました。起業を思い立ってから、実に10年以上を経てエフィシエントの設立に至りました」

――弘明寺町の出身の脇坂さんはビジネスの拠点に地元横浜を選択した。ただ、地元だからという理由だけで横浜を選んだわけではなかった。

「前職の会社は新宿にありましたが、無数のスタートアップがしのぎを削る姿を見て、東京で目立つのは簡単ではないと感じました。自分以外のメンバーは全員東京に住んでいましたが、横浜にさせてほしいと頼んで横浜に決めました」

※1…公益財団法人横浜企業経営支援財団主催、横浜市経済局共催。新たな価値を創造するような製品・サービスの提供を目指す起業家やスタートアップを発掘するため、横浜での起業や新規事業展開に挑戦するビジネスプランを全国から募集し審査するビジネスプランコンテスト。

「人間の表情」から収集できる学習データに着目し、初の自社プロダクトを開発

「好き」を定量化からAIスタートアップへ 社内ベンチャーがM&Aに至るまでの軌跡 株式会社エフィシエント 脇坂健一郎さん

――独立を果たした脇坂さんだったが、横浜ビジネスグランプリで発表した、好意を定量化するアプリは早々に実用化を断念していた。脈拍は感情以外の要因でも上下するため実現が難しかったという。

「代わりに何をするか、を考えました。私たちが得意とするデータ収集に関して、AIの領域では膨大な学習データを持てば勝者になれます。大量にデータが取れるものは何かを考え、たどり着いたのが『人間の表情』でした。さらにそこから、『話し方の練習』に着目して生まれたのが、動画をAIで解析し、話し方を評価するアプリ『Steach』です。話し方については、自分で話している姿を録画して、それを見て練習する人が多いです。結婚式のスピーチなども含めて、話し方の練習をする人は一定数いるだろうし、AIが評価してくれるとなれば使う人は多いのではないかと考えました」

――Steachは2020年12月にリリースしたが、脇坂さんは、開発期間中に横浜市のスタートアップを支援するプログラム「YOXOアクセラレータープログラム2020(※2)」に参加していた。

「アクセラレータープログラムには、ちょうどいいタイミングで参加できました。メンターの方と、プログラムが終わるまでに、話し方の評価をWebで見られるところまで作ろうと話し、作り切ることができました。マイルストーンを決め、月に数回メンターと面談をする際に進捗を報告しながら進めました。エフィシエントに専念した矢先に、新型コロナの緊急事態宣言が出て外出できない状況でしたが、その分『Steach』の開発が加速しました」

――初の自社プロダクト開発において、一番苦労したことは何だったのだろうか。

「商標ですね。アクセラレータープログラムの期間中に、事前に決めていた名称は商標登録済みであることがわかり、『Steach』に命名変更しました。ろくに調べもせず開発に打ち込んでしまっていて、そういった基本的なビジネス知識がなかったですね。

また、プレスリリースを出してメディアに取り上げてもらうこともありましたが、肯定的なメディアは少なかったです。むしろ『あなたのアプリは没個性につながる』とよく言われました。人間が緊張して話せないのは個性だと。でも、思うように話せない人からすると、それが問題で練習が必要ですよね」

――現在の事業内容は、受託システム開発、プロダクト開発・販売、SES(システムエンジニアリングサービス)の3つ。自社プロダクトは、「Steach」のほか、通信教育大手の話し方トレーニングアプリ「Speech Trainer」、サッカーJ1チームと開発したサイン入りユニフォーム転売抑止AIエンジン、細菌数を自動計測するコロニーカウンターアプリなどをリリースしてきた。創業からの6年間を振り返って、失敗や教訓を聞いた。

「創業時の6人のうち2人が会社を去ったことですね。当時は、同じ方向を向いて取り組めていないと感じていました。後になって辞めたメンバー一人と話す機会があり、彼は自分がもっと勉強しないといけないと感じていたそうです。知識を高めるために退職後に大学院に入っていました。当時、自分はそのことに気づいていなくてサポートができなかった。目標を一つにするためにもチームビルディングが重要だと考えています」

※2…横浜市経済局によるスタートアップ支援プログラム。急成長を目指すスタートアップを、約半年間かけて支援する。経験豊富な専門家によるメンタリングや、パートナー企業や支援者との連携・協業機会の提供などを行う。

茅ヶ崎の砂浜で合意。自社の価値を理解している上場企業とM&A成立

「好き」を定量化からAIスタートアップへ 社内ベンチャーがM&Aに至るまでの軌跡 株式会社エフィシエント 脇坂健一郎さん

――株式会社エフィシエントは2024年2月、就職・採用支援や社員教育を手掛ける株式会社ジェイックとのM&Aが成立し、グループイン。どのような経緯でM&Aに至ったのか。

「6期目を迎える頃に、この先会社をどうしていくか具体的に考え始めました。当社は資本構成がやや複雑でIPOは難しいと思っていたので、このまま中小企業として続けていくのか、M&Aを目指すのか。そもそも社内ベンチャーとして起業した当時から、プロダクトを作って売却するM&A寄りとも言えるビジネスモデルを考えていました。その路線を模索したこともありましたが、プロダクトだけを切り出して売却するのはなかなか難しく、事例もあまりありませんでしたので、M&Aを考えてみようということになりました」

――株式会社ジェイックとは神奈川県の支援で知り合い、就活生向け面接練習アプリ「steach」を共同開発し、2022年にリリースしていた。steachのダウンロード数は、2025年3月時点で5万件に達している。

「当社の技術や価値をわかってくれているので、最初から売却先の本命でした。ただ、買収に興味を示してくれた他の複数の企業とも話をしました。大体こんなものなのかな、という自社の市場価値を把握できました」

――そして2022年末、共に「steach」を育ててきた株式会社ジェイックと交渉が始まる。交渉は夏まで続き、茅ヶ崎の砂浜で先方の取締役と会って合意に至った。

「以前から食事をご一緒したことはあったのですが、年明けからは毎月のように会食しながら話をしました。ただ、お酒を勧められても酔えませんでしたね(笑)。当社にはM&Aの経験はもちろんありませんし、一番困ったのは、周囲に経験者が一人もおらず、相談できる人がいなかったことです。価格交渉がやはり大変でした。神奈川県のサポーターをしている公認会計士の方に、適切な売却額について助言を受けながら進め、最後は茅ヶ崎の砂浜で合意することができました。

売却額が合意した後の契約書の作成にも非常に苦労しました。最も焦点になったのは、ロックアップ(※3)の期間で、両者の希望に食い違いがありました。この点は、YOXO BOXメンター(※4)の弁護士の方に支援していただき、有益な助言を細かくたくさんいただきました。M&Aの契約書は本当に難解で複雑で、その他の書類が簡単に思えてしまうほどでした」

――M&A成立から1年が経ち、その効果をどのように感じているのだろうか。

「ジェイックは、企業向けに採用やキャリアカウンセリングに関するサービス、個人向けには就職支援のサービスを提供していますが、どちらもエフィシエントとの親和性が高いです。実際にジェイックが提供している自己PRや志望動機の作成・添削サービスに、新たに履歴書や職務経歴書の自動作成ツールを追加しました。生成AIでユーザーの手間を軽減し“効率的”な就職活動をサポートします。

また、現時点ではコンシューマー向けのプロダクトが中心なのですが、親会社の営業サポートでBtoBの受注も確実に増えています。就職やキャリア形成に関する膨大なデータを持っているので、今後はこれらを生成AIと組み合わせることで、新しいアプリケーションを生み出していきたいです」

※3…M&A成立後に一定期間、売却企業の経営陣や主要株主が、自社株式を売却できないように制限する契約。買収企業が、株価の安定化や経営陣の継続的な関与の確保を目的として設定する。
※4…ベンチャーキャピタルや士業(弁護士・公認会計士等)、起業家、大企業人材、大学教授等各分野の専門家が相談相手となり、スタートアップの成長過程で生じる課題に対して助言等を行う。

「次の起業も横浜で」と思えるような、シリアルアントレプレナーをサポートする環境があるといい

「好き」を定量化からAIスタートアップへ 社内ベンチャーがM&Aに至るまでの軌跡 株式会社エフィシエント 脇坂健一郎さん

――脇坂さんはこれまで、横浜市が提供するスタートアップ支援のプログラムやイベントに多数参加してきた。「横浜ビジネスグランプリ2019」、「横浜ベンチャーピッチ(※5)」、「YOXOイノベーションスクール2020(※6)」、「YOXOアクセラレータープログラム2020」、「YOXOマネジメントプログラム2022(※7)」、「YOXOプロモーション戦略プログラム2024(※8)」、「スタートアップ社会実証・実装支援プログラム(※9)」と、ここまで徹底して活用している企業は他にいない。

「参加し続けたのは、やはり横浜の皆さんに名前を覚えて欲しかったからです。実際に支援者を増やすことにもつながりました。中でもメリットを感じたのは、先程お話ししたYOXOアクセラレータープログラムです。起業前あるいは直後の方であれば、YOXOイノベーションスクールを勧めます。参加者の数が多く、自分が知らない領域のビジネスを考えている人たちと交流することで視野が広がると思います。私の場合は、横浜ビジネスグランプリに挑戦したのが、早過ぎてしまいましたね。他のプログラムでビジネスプランを練ってから出ていれば、プレゼンももっとうまくいったかなと」

――横浜市のスタートアップ支援拠点「YOXO BOX」にも頻繁に顔を出している脇坂さん。プログラムを多数活用した経験から、市のスタートアップ支援に対しての意見、提案をお願いした。

「オープン当初からYOXO BOXを利用していますが、YOXO BOXは限られたメンバーだけが使える安心感、居心地の良さがあります。毎年プログラムが開催されて、来る機会がしっかり設けられているのもいいですね。

横浜市に対しては、私は様々な支援を受けてきたので、これ以上要望することはないのですが、シリアルアントレプレナー(連続起業家)をサポートする環境もあるといいと思います。私の場合、M&Aについて相談できる先輩経営者がいなくて一人で悩みました。M&Aでイグジットを迎えた経営者が、その後のモチベーションをどのように高く保ち続けているのか聞いてみたいと感じたこともあります。このような環境が整えば、私を含め、『次も(次は)横浜で起業したい』と魅力を感じ、スタートアップが横浜に集まってくると思います」

――これから起業あるいは出口戦略を目指す人たちへのメッセージも頂戴した。

「起業そのものは誰でも可能です。大事なのは実現したいことの追求で、私も大学院で起業を考えていた頃は、この焦点がぼやけていました。まずは『あなたは何を実現したいの?』という問いに、的確かつ熱意を持って答えられるようにしてほしいです。また、起業の出口には、スモールビジネス、IPO、M&A、あるいは撤退という4つがあると思います。時には軌道修正しながら、自分がどこに向かっていくのかを常に考えることが大切だと思います」

※5…横浜市経済局が実施するピッチイベント。資金調達や事業連携等のビジネスパートナー発掘に向けて、スタートアップが、ベンチャーキャピタルや金融機関、大企業等に対して自社の事業計画やビジネスモデルをプレゼンする。
※6…スタートアップ起業志望者を対象としたビジネス講座。イノベーションに必要な基礎知識の習得、ビジネスプラン作成とそのブラッシュアップ、個別相談などにより支援。横浜市特定創業支援等事業。
※7…IPOやM&Aを目指すスタートアップを対象として、コーポレートガバナンス等に関する講座。
※8…ビジネスモデルに適したプロモーション手法の習得やメディアとの良好な関係構築等に関する講座。
※9…横浜市によるスタートアップの優れた技術やアイデアの事業化を後押しする事業。実証実験の実施や新製品・新サービス等のトライアル導入のコーディネート・マッチングといった支援を実施(2022年度、2023年度実施)。

【プロフィール】
脇坂健一郎氏
株式会社エフィシエント 代表取締役社長
1981年生まれ、神奈川県横浜市南区出身。⼤学卒業後、大手印刷会社に入社。同志社大学大学院ビジネス研究科でMBAを取得、ベンチャー企業の営業を経て、2019年に株式会社エフィシエントを設立。AIで話し方の改善を支援する自社プロダクト「Steach」の提供のほか、IoT、AIを活用した受託システム開発、SES事業を展開。2023年12月株式会社ジェイックとM&A成立、グループイン。

【取材】
2025年2月
インタビュアー・執筆/林壮也
編集/馬場郁夫(株式会社ウィルパートナーズ)