独立のタイミングは、先を見た”将来の時間軸”で考える 建築事務所にシェアキッチンを併設し、チャレンジショップを支援する 「藤棚デパートメント」オーナー 永田賢一郎さん

相鉄本線の西横浜駅から徒歩10分ほどの場所にある藤棚デパートメント。地元・藤棚商店街にあるこの店舗は、前面がキッチン付きのレンタルスペースになっており、期間限定のチャレンジショップ(※1)やワークショップが日替わりで出店する楽しい空間だ。その奥のスペースでは、事業主が建築事務所を構えている…。そんなユニークな事業スタイルを生み出した建築家・永田賢一郎さんが語る起業の醍醐味、そして仕事と暮らしの理想的なあり方とは。

※1…創業予定者が実際の店舗で経験を積むためのショップスペース、またはそのスペースに出店しているショップ。自治体、創業支援機関などが、創業支援や商店街の活性化等を目的に実施することが多い。

上海の建築事務所に所属後、横浜で友人と独立

独立のタイミングは、先を見た”将来の時間軸”で考える 建築事務所にシェアキッチンを併設し、チャレンジショップを支援する 「藤棚デパートメント」オーナー 永田賢一郎さん

永田さんは横浜国立大学大学院を卒業後、上海にある日本人らが経営する建築事務所に入社した。実はそれも、いずれ独立する時のことを考えた選択だったという。

「同世代がヨーロッパなどへ留学するのに対し、アジアを経験してみるのも面白そうだと思ったからです。その建築事務所は、シンガポール人と日本人の夫婦が経営していて、中国の法規を理解した上で現地出身でないからこそできる提案をしている事務所でした。建築家として、ゆくゆく自分が独立した時のマインドを学べると思って入社したんです。実際、そこで経験したことは今につながっているし、上海万博の後で景気も良くてとても楽しかったです」

だが2年後、日本に一時帰国した際に再会した大学時代の友人と、個人事業主のユニットとしてIVolli architecture(アイボリィ・アーキテクチュア)(以下、アイボリィ)をスタートさせることになる。

「大学時代に住んでいたアパートのオーナーから、僕が独立したら『別のアパートのリノベーションを任せたい』と仰ってくれていたんです。ちょうど友人が設計事務所を辞めた時期でもあったので、『一緒にやろう!』ということになりました。僕らの世代は独立心が強くて、大学時代に仲が良かったメンバーも20代後半で起業しています。」

アルバイトを掛け持ちしながらシェアオフィスで力をつけた

親しいオーナーから発注を受けていたとはいえ、目先の案件はそれ一つ。資金も少ない中でスタートをして、経営に不安はなかったのだろうか。

「僕らは模型を作るのも得意で、不動産関係の映像制作をしている高校時代の友人の紹介で、巨大都市模型の依頼が来ました。6m四方で予算は1千万円。プロジェクションマッピングも投影するような大掛かりなものでした。実は、最初のアパートのリノベーションは何度も計画が中断して、完成までに4年ほどかかってしまったので、独立当初は模型の仕事で資金作りをして、あとは2人ともアルバイトを掛け持ちしていました。僕はグラフィックデザインの事務所で働いたり家庭教師をしたりしながら、事務所に帰って建築の仕事をしていました。」

「それと僕らは、創業当初みなとみらいのハンマーヘッドスタジオ(※2)という大きなスペースで家賃が安いシェアスタジオに入居していました。ここには50くらいの事務所やアーティストが入居していて、色々な仕事を紹介し合っていました。僕らも巨大な模型を置かせてもらっていて、それを見てコンペへの応募を薦めてくれる人や、屋台やギャラリーを造りたいと仕事を発注してくれる人が出てきたんです。ハンマーヘッドスタジオでの人との出会いが功を奏し、アイボリィで手がけた案件は4年間で30件ほどあったので、当時の建築事務所としては忙しい方だったと思います。今の仕事のつながりは、ほとんどそこで生まれたものです」

※2…正式名称「ハンマーヘッドスタジオ 新・港区」。横浜市文化観光局による期間限定(2年間)のクリエイターの活動拠点。公募・審査を経た50組を越す個人・チームが、巨大な空間を共有しながらそれぞれ活動を行っていた。2012年5月にスタートし2014年4月に運用を終了。

けれどこのシェアオフィスは2年間の期間限定で、永田さんたちが入居したのは後半の1年間のみ。その後はどうなったのか。

独立のタイミングは、先を見た”将来の時間軸”で考える 建築事務所にシェアキッチンを併設し、チャレンジショップを支援する 「藤棚デパートメント」オーナー 永田賢一郎さん

「近場に個人で事務所を借りる人や地元に戻る人もいました。ただ僕らのように一人ではまだ自信がない人もいて、そんな若手9人で新しいシェアスタジオを借りることにしました。大工、ライター、写真家など職業もバラバラですけど、間口が広いことで入ってくる仕事もあるんです。物件を探している時に、黄金町の閉館したストリップ劇場を提案され、物件を見た瞬間、みんなが気に入りました。この『旧劇場』というシェアオフィスで4年間活動をしました。その間にそれぞれ力をつけて仕事が忙しくなり、スタジオにいることも少なくなったので、2018年3月に発展的に解散しました。アイボリィも僕や友人それぞれに来る仕事が増えて、別々に事務所を持つことにしました」

アイボリィは最終的には3人で共同経営していたという。共同経営の良さや難しさはどんなことだろう?

「良さは労働力があることで、多少容量オーバーな仕事でも何とかなること。難しかったのは、持ち掛けられた案件を一度事務所に持ち帰り、メンバーの意見を聞かないといけないので、簡単には引き受けられなかったこと。せっかく信頼して発注してくれたのに、すぐに返事ができないのは心苦しかったですね。一緒にやる案件でも、どちらがどこまでやるかについて行き違いはよくありました。究極的にはその仕事を持って来た人がイニシアチブを取るようにしていました。反対に一人になって思うのは、アイデアが外部化されるのに時間がかかるということ。共同経営時代はすぐに客観的な視点が入ったけど、一人になるとすべて自分でジャッジしなければならない。ただ、その分、自分がやりたいことがより洗練され、それによって来る仕事も、自分が志向する方向に近づいていくので、どちらにも良い点・悪い点がありますね」

藤棚デパートメントから地域の魅力を発信したい

独立のタイミングは、先を見た”将来の時間軸”で考える 建築事務所にシェアキッチンを併設し、チャレンジショップを支援する 「藤棚デパートメント」オーナー 永田賢一郎さん

2018年には自身の事務所YONG architecture studioを設立。ほぼ同時に藤棚デパートメント(※3)もスタートさせた。

※3…日替わりカフェや料理教室が開けるシェアキッチンと設計事務所、書店を兼ねた地域のコミュニティスペース。

「大学時代の住居のオーナーに頼まれてリノベーションしたアパートが、この藤棚商店街からも近く、共有スペースもあったので、『藤棚のアパートメント』と名づけて、借りて住んでいました。そこから『何かを発信して街を動かせればいいな』と思い、共有スペースをワークショップや撮影などに貸し出していました。ただ、人通りがある場所ではなかったので、街を動かすほどのことはできなかったんです。」

「藤棚アパートメントの活動が自然に広がっていけばと思っていましたが、待ちの姿勢ではダメだと思い、地域を活性化するコミュニティスペースを造ろうと思いました。ちょうどその頃、藤棚商店街の方から、空き店舗があることや、横浜市経済局の「商店街ベストマッチング事業(※4)」を教えてもらい、活用することにしました。そうしてできあがったのが現在の『藤棚デパートメント』。開業準備の補助金も出たのでとても助かりました。」

※4…商店街にある空き店舗を解消し、魅力ある店舗の集積を高めることで集客力向上を目指す横浜市の事業。「商店街空き店舗改修事業」「商店街店舗誘致事業」「商店街空き店舗コンサルティング事業」の3つの事業で構成されている。

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FAAVO(以下、ファーボ)という地域活性化に特化したクラウドファンディングも利用した。

「これは費用的な側面だけではなく、利用することで世の中に知ってもらえるために使ってとてもよかったと思っています。目標金額は達成できた方が期待されていると感じてもらえるので、60万円に設定しました。地元の方や友人の支援もあって無事目標金額を達成しました。返礼品には藤棚デパートメントの利用券や、オリジナルのお菓子、コーヒーチケットなどです。あとは商店街のかまぼこ店に協力してもらい、詰め合わせセットも差し上げました。ファーボでもだいぶPRしてもらえますし、「商店街ベストマッチング事業」を利用していることで取材を受けることもあります。こうした制度を活用することは、費用面だけでなく宣伝面の効果が大きいです!」

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自身の事務所だけでなく、コミュニティスペースを設けたのはなぜなのだろう?

「店舗の家賃を賄う意味ももちろんありますが、何かを発信する場所にしたいという思いがあったからです。僕は『野毛山エリアはもっと面白くなるはず!』と言い続けていて、藤棚商店街を説明する時も“野毛山のふもとにある商店街”と紹介しているんです。地形的に面白いし、野毛山動物園に来ただけで桜木町に帰ってしまう人がほとんどだけど、散歩すると古い街並みの中にスタジオなどの文化的な施設があったりする。この街に素敵なお店や文化的なものが増えてほしいと思い、そういう夢を持っている人を支援するためにこの営業形態にしました。」

「藤棚デパートメントという名称にした理由は、自分で地域を活性化する「波」を作りたかったから。藤棚アパートメント、藤棚デパートメントとプロジェクトが立て続けに起これば『この街で何かが始まっている予感が広がるのでは?』と思ったからです。僕がこのエリアの案内人みたいになれたらいいし、最近は少しずつ、地域に住むクリエイターも増えてきていると聞いて、嬉しく思っています」

藤棚デパートメントとともに永田さんもすっかり地元に溶け込んでいるように見えるが、コミュニティに馴染むコツはあるのだろうか?

「僕の場合は商店街の中に自分の店舗を持ったことが大きいと思います。そうすると地域が抱えている現状や問題が他人事ではなく自分事になる。商店街の人たちからも当事者と見てもらえるし、こっちも意見を言いやすくなる。だからそこに住まないまでも、地域の人と同じ目線に立つことは大事です。地域社会が活性化すれば、そこにまたビジネスが生まれるわけで、地域社会とビジネスは切り離せないものだと思っています」

身の周りの暮らしを豊かにしていきたいと考えると仕事は生まれる

独立のタイミングは、先を見た”将来の時間軸”で考える 建築事務所にシェアキッチンを併設し、チャレンジショップを支援する「藤棚デパートメント」オーナー 永田賢一郎さん

そんな永田さんから、起業を考えている人たちに贈るメッセージとは。

「起業した当初は、年間の収支計画も立てずに来る仕事をこなしていたので、後で税金が高くなって困ったりもしました(笑)。だけど僕は、あまり準備に時間をかけ過ぎてから始めるのも違うと思っているんです。それまでの自分の時間軸で決めるのではなく、自分の将来設計を考えて、先を見た将来の時間軸で行動することをお勧めします。今までの時間軸で考えると、勤務先での仕事が残っていて独立するにはタイミングが良くなくても、将来の時間軸で考えると今が絶好のタイミングだったりする。僕の場合も、独立して最初に過ごしたハンマーヘッドスタジオでの1年間があったから、その後の仕事につながっていますが、1年決断が遅かったら、そのすべては無かったわけですから」

最後に、自身の今後の展望を。将来の時間軸には、どんな光景を思い描いているのだろう。

「現在は、建築の仕事と藤棚デパートメントの仕事が半々くらいです。建築の仕事については、今後、自分からもっと動いていきたいと思っています。旧劇場時代に寿町の簡易宿泊所を外国人旅行者向けのゲストルームにする仕事をしたんですけど、この仕事は珍しく自分から興味を抱いて営業したものです。声を掛けたらそこから始まる仕事があることも分かったし、自分のやりたい仕事ができてとても手応えがありました。皆さんからいただく仕事はありがたいですけど、いつまでも同じような仕事が続くかわからない。自分から動いて仕事を作り出してこその起業なんじゃないでしょうか。藤棚デパートメントはまさに自分で作り出した仕事で、空いている時は自分が使えばいいし、無理なく持続可能な状態で稼いでいければいいと考えています。」

「仕事と暮らしにあまり線引きはなくて、自分の身の周りの暮らしを豊かにしていきたいと考えると仕事が生まれる。自分が喜べるポイントと街の人が喜ぶポイントが一致すればいいですよね。そんな思いもあって、2019年12月から毎週水曜日は、このレンタルキッチンを使って妻とカフェを始めました。利益は大きくないかもしれないけど、自分の心が喜んでいる大事な時間です。日々の暮らしの中で喜びを見つけることを大切にするといろいろな提案ができる。ここから地域に働きかけながら、仕事も暮らしも少しずつ質を高めていければいいなと思っています」

【プロフィール】
永田賢一郎氏
YONG architecture studio代表

横浜国立大学大学院/建築都市スクールY-GSA修了。2011年より、上海の建築事務所に勤務した後、13年に大学時代の友人とIVolli architectureを設立。18年に個人でYONG architecture studioを設立。同年より藤棚デパートメントを拠点に活動をしている。大学の非常勤講師や助手なども務める。これまで手掛けた案件にmass×mass関内フューチャーセンター、寿町のゲストルーム、紀尾井町の経営コンサルティング・ファーム、大井町のワンルームマンションのリノベーションなどがある。

【取材】
2019年12月
インタビュアー・執筆/古沢保
編集/馬場郁夫(株式会社ウィルパートナーズ)