起業家の中には常に事業のタネを探しているタイプの人物と、とにかく自分のやりたいことを突き詰めていったら自然と起業家になっていたタイプの人物がいる。
「どうしても自分の理想とするデイサービスを実現したかった」
今回登場する三戸究允(さんのへ・さだみつ)さんは明らかに後者のタイプだ。やりたいことを実現したからこその充実感と、経営面の知識が少なかったゆえの苦労。創業から丸6年を迎えた若き経営者のリアルな体験を聞いた。
職員として働く中で、物足りない思いがあった
三戸究允さんは、生後すぐに札幌から家族で横浜に転居し、ずっと横浜で暮らしてきた根っからのハマっ子だ。地元の商業高校で学び、そのままエスカレーター式に進学する道もあったが、あえて高齢者介護の専門学校へ進む道を選んだ。
「勉強したいことがないのに大学に進むのもどうかと思っていた時期に、介護の仕事に興味を持ちました。ずっとスポーツをしていて体力に自信があったのと、人の役に立てるならいいだろうという軽い気持ちで選びました。でもその分、老人ホームでの初めての実習で現実の厳しさに直面しました。おじいちゃん、おばあちゃんが何を言っているかわからないし、排泄物の臭いはキツイし。たまたまその日、入居者の容態が急変する場面にも遭遇して、『これは無理だ』と思いました。率直に言って逃げ出したかったです。だけど学校の先生たちの親身なサポートもあって、思いとどまることができました。進路を決める時、父親から大学に行けと言われたのに逆らい、『やるからには中途半端にやるな。ただの介護者では終わるなよ』と言われていたんです。簡単に辞めるわけにはいかないという意地に支えられてやってきたような気がします」
20歳で卒業すると、公営の特別養護老人ホーム(※1)に2年、民間の有料老人ホーム(※2)に8年勤務した。さまざまな経験を積む中で、膨らんでくる思いがあった。
「前者は公営だけに料金は安いけど、競争率が高くて待機者が多い。後者は比較的簡単に入れるけど、費用は高い。だけど両者で受けられるサービスはほとんど変わらず、釈然としない思いを抱いていました。2年後に転職したのは、自分で起業できるのではないか、それなら民間も経験したいという思いがあってのことです。民間ではデイサービスにも配属されました。それまでは『ただ利用者を楽しませるだけのサービス』という印象を持っていたのですが、利用時間だけでなく利用者が家でどんな暮らしをしているのかを把握する必要があり、利用者の家族の方とも関わっていく奥の深い仕事だと認識が変わりました。他にも年間事業計画や毎月の利益改善、人員配置の予定を立てる仕事も任され、お金の動きも見えてきたので、このときの経験が経営者になった今、非常に役に立っています。
一方で、民間のデイサービスの実情についても、物足りない思いがありました。どこのデイサービスも大抵、朝に送迎車でやって来ると、お風呂に入ってご飯を食べて、午後は大体寝ているだけ。当時は1日約1万円払って、利用者にとってやることはそれだけなんです。もっと金額に見合うサービスを提供できるのではないかと感じていました。やがて職場でもう一度老人ホームの方へ異動して上のポストに就いてほしいと言われたとき、それなら起業して、自分の理想とするデイサービスを実現してみようと決意しました」
※1…在宅での生活が困難になった要介護の高齢者が入居できる公的な介護保険施設。社会福祉法人や地方自治体が運営する。現在は65歳以上で要介護3~5の認定を受けている人が対象。
※2…概ね65歳以上で、自立の人から要支援、要介護の人まで幅広く入居できる。介護付・住宅型・健康型の3つのタイプがある。
父親に事業計画書を提出し、突き返されて…
ずっと思いを温めてきたとはいえ、実際に起業するとなると、さまざまな準備が必要だった。
「法人の設立は、老人ホームに勤めながら進めました。そして『もう設立しました』と、引き止めようがない状況を作ってから、会社に退職を申し出ました。その時点で結婚して、子供も二人いましたが、家内にはだいぶ前から『そのうち、独立したい』と話していたので、『ついに来たか』という反応でした。デイサービスは、ケアマネジャー(※3)に紹介してもらうことが多いんです。勤めていた老人ホームも港南区で、知り合いのケアマネジャーが多いので、同じエリアで開業することにしました。美容師の世界では、同じ沿線やエリアでの独立は禁止されている場合が多いようですが、その点は勤務先の就業規則を確認していました。元の職場の上司も頑張れと言ってくれて、開所時の内覧会は見に来てくれましたし、今でも研修会等で付き合いがあります。雇用については正社員1人、非常勤3人を雇いました。信頼できる相手をチームに入れたかったので、それまでの職場で一緒に働いたことがあるメンバーに声をかけました」
準備の中でも苦労したのは金銭面だった。困難に直面した時に、支えとなってくれたのが家族の存在だ。
「それまでの貯蓄が限られていたので、父に相談したら、事業計画書を出すように言われました。理想ばかりで数字の見通しが甘いと突き返され、2~3度提出し直しました。父はあえて厳しいことを言って嫌われ役になってくれるんです。最終的に父が資本金の一部を支援してくれました。父は普通の会社員でしたけど、子会社の社長などを務めて経営の知識がありました。今は利用者の送迎なども手伝ってくれています。
なるべくキャッシュを手元に置いておきたかったので、それ以外に公庫(日本政策金融公庫 ※4)からも借りて、備品や車の購入などの準備資金に充てました。物件探しは難航しました。民間のデイサービスは一軒家を借りてやっているところが多いのですが、なかなか見つからず、あっても家主が海外にいる期間限定というようなものしかなかったところ、不動産屋が、ビルの1階にある未公開のテナントを提案してくれました。その改装費用が必要になり、他の金融機関からも借り入れました。事務的な面は家内が介護事務の資格を取って見てくれています。もともとそういう知識があったわけではなく、社労士や税理士に教えてもらいながら勉強して、今では会社のお金の流れを一番把握しているのは家内なんです」
※3…介護支援専門員。要介護者やその家族からの相談に応じ、ケアプランを作成して要介護者と介護サービスの仲介を行なう。
※4…政府全額出資の金融機関。国の政策のもと、創業支援や中小企業の事業支援などを重点的に行なっている。創業時から利用でき、低金利で融資を受けられる。
手持ちの現金が15万円からの巻き返し
こうして2014年8月、「デイサービスプレゼンス」(現在の壱番館)の開業に漕ぎ着けたが、当初はなかなか利用者が集まらなかったという。
「最初の半年間は、僕の給料は出ませんでした。体験利用をしてもらうと食事代として650円だけはもらえるのですが、650円を稼ぐのはこんなに大変なのかと感じました。水道光熱費やスタッフの給料を払うために貯蓄を切り崩してやりくりして、手持ちの現金が15万円しかなくなったときはどうなることかと思いました。それでも地域のケアマネジャーさんたちに営業をしたり、保険屋さんにパンフレットを置かせてもらったり、内覧会をしたり、スタッフがチラシを配布したりしているうちに、次第に利用者が集まるようになり、半年後にようやく黒字を計上できるようになりました」
成功の要因は、三戸さんが企図していた充実したサービス内容が、利用者たちに伝わったからだろう。プレゼンスの売りは豊富なレクリエーションで、趣味やリハビリ、生活支援、リラクゼーション、脳トレ、外出などの中から自分でスケジュールを組むことができる。次第に毎日の定員10人を超える希望者が集まるようになってきた。希望に応えきれず、2016年10月には弐番館を開業することになる。極めて順調に見えるが、必ずしもそうではなかったと言う。
「弐番館の方は黒字に転換するのに7か月かかりました。壱番館の利用者に来ていただこうと思っていたのですが、馴染みのスタッフがいないので、やはり満足していただけないし、同じことをやるなら壱番館の方がいいとなってしまうんです。そこで壱番館とは違うことをやらなければと思い、楽器の演奏や、自宅での生活が安全にできるように、食事準備や洗濯物干しなどをプログラムに取り入れました。近所に小学校があるので、雑巾を作成して寄付をするなど、社会とのつながりも大切にしています。高齢者の方も自分の役割があると気持ちが変わるようで、男性の中には仕事と思って通って来る人もいますし、申し込んだ日ではないのにボランティアのつもりで来る女性もいます」
社会に働きかけるためにも、今は地盤固めの時期
現在、利用者数は2館とも92~93%を維持している。これはコロナの影響で20%程度までに落ちてしまっているデイサービスがあることを見ると、極めて高い安定感だと言える。2019年度には、横浜市経済局が主催する「スタートアップ企業伴走支援プログラム(旧横浜アクセラレーションプログラム)(※5)」に採択された。経営者OBなどが半年間伴走して、経営アドバイスをしてくれるというものだ。
「実は経営を拡げるのは弐番館で終わりにしようと思っていました。開業当初から自分の理想を実現したいという気持ちだけで、会社を大きくすることには興味がなかったし、本当に一緒に働きたいスタッフってそんなに大勢出逢えるものでもないので…。ただ、スタッフのことを考えたとき、デイサービスだけで続けていけるのかという心配もありました。介護保険法の改正で介護報酬の単価は下がり続けていますから。プログラムの伴走者の方にアドバイスを受けて、経営理念をきちんと社会に表明するなど、参考になったことがたくさんありました。
そして採択されて僕にとって大きかったのは、多くの異業種の方と知り合えたことで、今は一緒にリハビリ用品や見守りツールの開発をしています。僕のような介護の経営者は、自分も介護することを優先して、経営は後回しになりがちです。だからこれから起業する方には、準備の段階から幅広く異業種の方と知り合ってもらいたいと思います。横浜市の方も“お上の人”“怖い人”というイメージだったんですけど(笑)、実際にはそんなことはなくて。疑問があったらもっと早く、気軽に聞いておけば良かったと思いました」
そして現在は、市内500以上のデイサービス事業者が協力し合うNPO法人D-net横浜(※6)の理事長も務めている。この春には、新型コロナウイルス感染症の影響をアンケート調査で迅速にまとめた。
「経営者は孤独なので、同業者の横のつながりは大切ですね。特に介護は法改正が多いので、これはどういうことなのか、どう対応すればいいのかなど情報を交換し合うことによって安心できます。これからは、同業者の実情や意見をきちんとまとめて議員さんに届けるなど、行政に働きかけていきたいです。高齢者には若者にない知恵があり、若者には体力がある。それをいい具合に融合させていけば、少子高齢化の時代にもおもしろい社会が生まれるのではないかと思います。だから将来的には、高齢者介護の枠組みだけに捉われず、誰もが生活しやすい環境・コミュニティを企業として作っていきたい。そのためにも今は、自分の会社の内部・地盤を固める時期だと考えています」
自身の理想を事業で形にして、社会に対しても働きかけていく。充実した三十代後半を迎えている三戸さんから、最後にこれから起業しようとしている人たちへのアドバイスをもらった。
「人によって起業する理由・想いはさまざまですが、事業を始めると最初に思い描いていた絵とは常に状況が変わっていきます。たくさんの人と関わっていろいろな意見を聞きながら、自分の目指すところがこれで正しいのか常に自問自答しながら進めてほしいと思います。
一方で、経営者になると365日つい仕事のことばかり考えてしまいます。雇われの方が楽だったなと思うし、うちは家内も一緒に仕事をしているので、ますます仕事の会話が多くなってしまうんですね。だからたまには仕事を完全に忘れてリフレッシュする時間帯を作る。僕も子供に付き合ってサッカーの練習に参加したり、家内とダイビングをしたりしています。意外とサッカーのコーチが言っていることが仕事で使えたり、少し離れて見ることで頭が整理されて、今本当は何をすべきなのか優先順位が見えてきたりもします。だからプライベートの時間はしっかり持ってほしいと伝えたいですね」
※5…「柔軟性や独創性を有する創業間もない市内企業」や、「社会課題解決に資する事業を展開するソーシャルビジネス事業者」が対象。営業や経営の分野で豊富な経験を有するプロ人材が、約6か月にわたり対象企業の「伴走支援」を実施し、事業の成長を後押しする。
※6…横浜市地域密着型通所介護事業所連絡会。横浜市健康福祉局からの委託を受けて質の向上につながるセミナーも開催している。
【プロフィール】
三戸究允氏
株式会社PRESENCE代表取締役社長
横浜商科大学高等学校卒業。2004年より、特別養護老人ホーム、有料老人ホームに合わせて10年間勤務。14年8月、港南台にデイサービスプレゼンスを創業、16年10月、丸山台に弐番館を設立。有料老人ホームの紹介、介護者や家族への研修事業も行なっている。介護福祉士、介護支援専門員、相談診断士の資格を有し、NPO法人D-net横浜の理事長も務める。
【取材】
2020年7月
インタビュアー・執筆/古沢保
編集/馬場郁夫(株式会社ウィルパートナーズ)