首都圏で出店するヘアサロンAsh(アッシュ)を主軸に、美容室事業を展開している株式会社アルテ サロン ホールディングス。

メーカー勤務の会社員から、今やグループ280店舗(2018年2月末時点)を有する横浜を代表する美容室経営を行なう代表取締役会長の吉原さんに、起業から暖簾分けフランチャイズ方式で事業展開されるに至った起業ストーリーを伺った。

美容業界は実力主義

「18歳の頃、将来の夢は三つありました。ひとつは大学の教授になること。もうひとつは海外に行って商社やメーカーで働くこと。最後は経営者になって社長で成功したいというものでした」

一つ目の夢の実現に向けて、大学では教育学部に入ったが、学校という組織に入るよりも、自分自身が世界へ近づくことを目指し、タカラベルモント株式会社に入社した。同社は古くからバーバー椅子や歯科治療椅子などを生産し、40年前からヨーローパやアメリカ、ブラジルと世界で事業を展開していた。

「タカラベルモントでは、思いもかけず美容室の営業マンに配属されました。それまでは美容業界について詳しくありませんでしたが、3年ほど本社のある代々木で勤めて美容業界を見てきた中で、学歴ではなく実力でのし上がる、とても面白い業界だと感じました」

ある時、現場の美容室チェーン店の社長から「うちに来て働かないか」と声を掛けてもらった。このまま海外に行くチャンスが無いのなら、次の目標であった経営者になる夢を叶えようと、26歳で転職した。

店舗の立ち上げに関してはこれまでのメーカー勤務での経験を生かすことができたが、店舗の運営に関する知識が無かった。それでも美容師を雇い、必死に運営に努めた。そんな中、現場の従業員から「あなたは素人じゃないか」と言われた。この業界では、美容技術・実力がものを言う世界。美容免許の無い吉原さんがマネジメントすることは難しかった。このことがきっかけで、自らが美容師となり、経営者として認めてもらえるように28歳から通信教育で美容学校に通った。修学後に1年間のインターンを経て美容師免許を取得した。

そして、31歳の時に地元横浜で古くからある大口商店街の駄菓子屋の2階で、10坪の美容室を独立開業した。従業員を3人雇っての新しく小さな船出だった。
「その翌年、学芸大学に12坪の新規店舗を開業し、翌々年には、鶴ヶ峰に10坪の新規店舗を開業しました。このように30代の頃に3店舗を運営したのが私の起業の始まりでした」


地元、大口の商店街に構えた創業時の店舗写真

 

日々の信頼をつくり上げていく

起業して間もない頃は、大きな目標を持てるほどの力が無く、金融機関から融資を受けることも簡単ではなかった。窓口で公的融資制度の案内を受け、どうにか借り入れができるという状況であった。金融機関からの信頼を得るため、借り入れを着実に返済し、日々の売り上げを毎日銀行口座へ入金して、まめに窓口に足を運ぶことで強い信頼と関係性を築いていった。

「会社立ち上げ当初は、数年先の目標や方向性が具体的に見えてこない時期もあると思います。その瞬間、瞬間を一生懸命に生きて、目の前の仕事をやり切ることが大切。それが積み重なって、結果や成功に繋がっていくのではないかと思います」

独立開業し、次々に3店舗を開店することができたということは、当時の売上が順調だったのかと伺うと、そうではなかった。「1店舗での運営だと、その店舗でそれなりの売上がなければ経営者はお給料をもらえません。しかし3店舗であれば1店舗当たりの売上が少額であっても3倍になります。そのように複数店舗で事業を展開していく経営者を若い頃に見てきたので、自分にもできるのではないかと考えました。ただし、月500万円の売上で10軒を運営する能力が自分にあるとは思っていませんでした。精々、月200万円の売上で10軒を具現化することが自分にできる範囲でした」

 

グループの強みと個の強み

アルテサロンホールディングス社ホームページより
アルテ サロン ホールディングス ホームページ

 

開廃の多い美容室業界において、美容室経営の要となるポイントを質問すると、「店長が辞めないこと」と即答された。「サービス業も飲食業も同じで、人が辞めないことです。人が要となるサービス業は、幹部社員に継続して勤めてもらわないと減速縮小します。30歳で店長になった美容師が10年後に40歳になった時、同じポジションの店長のままでは満足せずに独立してしまう可能性があります。そこで、次のステップとして責任を持って店舗経営を任せることにしました。繁盛店を顧客とスタッフを含めて、そっくりそのまま店長に譲るのです。これが、暖簾分けフランチャイズ方式です」

美容業界では、新しい概念だったこの暖簾分けシステムは、あまりにも店長に有利なものであったため、中には『おまえは騙されているのだから、そんな会社は早くやめた方が良い』と母親から忠告された店長もいたほどであったが、時間をかけて、ようやくスタッフたちに定着していった。美容師は現場でサービスや技術向上などに専念する一方で、総務や経理、事務処理などの経営面は、会社に任せる代りに手数料をいただく。一時的に会社の利益は減少するが、店長の離脱を防ぎ、役割分担による効率化も実現できるこの暖簾分けフランチャイズの方法が、長期的には店舗運営にプラスとなった。

創業当時、美容室は個人の名前を付けることが主流であったが、ファッション業界では昭和60年代にデザイナーズブランドが立ち上がるようになった。これをヒントに、美容室名を個人名ではなく、Ashと名付け、店舗全体のブランディングを行った。美容室のマネジメントやマーケティング、ブランディング、フランチャイズ展開や人材管理をトータルコーディネートするのが、アルテ サロン ホールディングスの経営手法だという。

「スタートアップ期は、具体的な計画が無いにもかかわらず、会社・事業を拡大したいという雰囲気に飲まれてしまうと、核心からずれてしまい失敗することがあります。ビジネスを進めていくときの判断基準は、差別化の要素を持っているのか、時代に適合できるのか、勝てる核心を持っているのかが重要だと思います」

「スタッフには、企業ブランドを守るために意欲的にAshにふさわしい技術向上を目指してもらいますが、今後は信用力やブランド力をインターネット上で確保することが求められます。また、現在は、美容師が個人のSNSでヘアスタイルをカタログとして発信し、顧客を獲得する時代になっています。個の強みを持っている美容師とアルテサロンホールディングスのグループ力を掛け合わせていくことが、今後大切になってきます」と吉原さんは予測された。

 

技術向上・人材育成について


吉原さんは、多忙な合間を縫って1年目のスタッフ全員と面接し、その際には手荒れの具合をチェックする。手が荒れているスタッフには、クリームや薬、サプリ等を配るなど、健康面にも配慮するという。

 

「美容師は、お客様一人ひとりの容姿を整える技術が必要です。また、実際に会って行うサービスであるため、ITやAI等技術革新の時代であっても、 “無くならない100の商売”のひとつだと言われています。とはいえ多くの美容室の中から顧客に選んでもらうためには、より良い空間で美容師のセンスと技術を感じてもらえることが重要だと思います」

Ashは、大規模な組織であるが、スタッフ間のコミュニケーションを大切にしている。各店舗(縦軸)と職位(横軸)ごとに、それぞれの会議や技術研修などによりコミュニケーションが取れる環境があり、加えて斜めの軸として、カットコンテストなどのイベント開催やクリエイティブ活動を通じて、異なる店舗や職位間でも交流できる機会を提供している。様々なスタッフが顔を合わせ学べる環境を整えることで、スタッフ間のコミュニケーションと技術の向上に取り組んでいるのだ。そのためにも、各店舗をアカデミーのある関内駅から120分の範囲内で展開することで、誰でも参加できるよう工夫しているという。

「コンテストで技術を磨くことはひとつの方法です。自分自身を向上させるためのものであり、賞与などプラスアルファの何かが貰える訳ではありません。通過点としてその後の人生に活かしていけるかは本人次第だと思います。様々な生き方があり、自分のライフプランの中で、そこにいること、そこにいたこと自体に価値があったと気がつくのは大事な意味があると思います」

 

横浜の起業家へアドバイス

横浜で創業される方に向けたアドバイスを伺うと、吉原さんは笑顔で回答された。「横浜は開港都市として神戸と並んで理美容室が早くに開かれた場所であり、西洋文化発祥地である元町もあるため、市民としての誇りを持っていると思います。横浜の地元愛で起業し、成功した方々が、笑顔でつながりを生むようになっていくと良いと思います」

 

取材の最後に吉原さんに自己採点をしてもらった。「良い時こそ改善していかなければならないと思います。それにはトップが動き、学び続けることが大切です。56歳から大学院へ通いMBAを取得しました。今の会社の状態は66点。80点を目指したいが、まだまだこれからです」

インタビューの様子の写真

組織概要

株式会社アルテ サロン ホールディングス
http://www.arte-hd.com/

所在地:
横浜市中区翁町1-4-1 アルテマリンウェーブビル

取材:2018年2月
※吉原さんの役職名は取材時のもので現在は取締役会長